世紀の大事業「大潟村」八郎潟干拓

「大潟村」とは

秋田県大潟村、かつて琵琶湖に次ぐ日本第2の広さを誇る湖であった八郎潟は、オランダの技術援助のもと、国営干拓事業により広大な新生の大地に変容を遂げ、昭和39年に「大潟村」が誕生しました。当初の目的は食糧増産であったが、工事の間に食糧事情が改善したことなどを受けて新農村建設に変わった。その後は、米は生産過剰となり減反政策が開始されるなど、農業を取り巻く情勢は大きく変化している。期間20年、総工費852億円の大事業でした。

菜の花ロード

大潟村を走る県道沿いに、約11キロメートルにわたって咲く菜の花、「菜の花ロード」と呼ばれ、同じく県道沿いに植えられた桜のピンクと菜の花の黄色のコントラストはすばらしく、ドライバーの目を楽しませてくれます。秋田県の春の観光地の1つです。

大潟村干拓博物館

日本最大の干拓事業を記念し、八郎潟干拓の歴史、干拓および村存立の意義を後世に伝えるとともに、全国から入植した人々の営農と村づくりの歴史を紹介しています。八郎潟干拓についての経緯などについてわかりやすく展示がなされています。展示の行間が読めればさらに楽しめると思います。

経緯度交会点

日本で唯一、10度単位で経緯度が交わる陸地である。北緯40度・東経140度。
モニュメントが設置されている。
北緯40度ライン上には、北京、ナポリ、マドリード、ニューヨークなどがあり、東経140度ライン上にはハバロフスク、ニューギニア島、キングストンなどがあります。

大潟富士

人工の山で標高0m(海抜0m)で円錐形の築山で、周囲からの比高が富士山の1,000分の1である3.776mで、山頂のちょうど海抜0mとなるように造られた日本一低い山です。
登頂にかかる時間は約1分、小さい子でも楽しく登れます。

「大潟村」まとめ

干拓の歴史を学びながら、イベント、観光施設、温泉、特産品など楽しめます。また「八郎太郎」という龍になった主が住んでいるという伝説があるなど神秘的な歴史があります。

(問題)

干拓事業には何年の歳月がかかったか

1.10年
2.20年
3.30年

答え 2

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